看護師の多様性ということで、今日はアーティストとして生きる看護師さんの話を書きたいと思います。
この老人のイラスト、saori obataさんの作品です。
(saori obataさんの作品といえば、「成人看護学」「基礎看護学」「老年看護学」といったLineスタンプ・シリーズで知っている方が多いかもしれません。)
タイトルは「現世」。
これを見てどんな印象・感想を持たれるでしょうか?
胃瘻、経管栄養。
看護師であれば、そんな単語が飛び出てくると思います。
そしてこの座禅を組む老人はなんなのか?
即身仏、そして、「現世」というタイトル。
命の尊厳とQOL、延命。そんな陳腐かもしれない言葉で語られがちな、現代日本の生き様を、ひとつの抽象的な絵が訴えかけています。
人によっては、この絵を快く感じない方もいるでしょう。
不快に思うとしたら、その感情が湧き上がるのは、なぜなのか? この一枚の絵から、私たちの心のなかにある何と何が想起されて、繋がり合ってひとつの感情になっていくのか?
それが作者の意図するものと一致することは、きっと作者も望んでいないでしょう。
感情を揺さぶるひとつのきっかけ、起爆剤。
無の中に投げ込まれる一つの小さな、さざ波といったらいいでしょうか。
そんなものをこのイラストの中に感じました。そして、その発信者が自分と同じ文化を共有する看護師であるということが、これを他人事ではなくさせています。
かつてナイチンゲールは、看護はアートだと言いました。
この文脈の中でのArtは「技巧」という根源的な意味合い以上のものはないかなと思っていますが、拡大解釈するなら、人の生死に多く立ち会う医療者が、自分の思いや考えを込めるのは、看護実践の場だけとは限らないということです。
現にナイチンゲールも、看護をメディアにして表現を行っていた思想家ですが、その思想の多くは、看護実践の場でパフォーマンスとして体現しただけでなく、著作という形で世に残しています。
とりとめのない抽象的な話になってしまいましたが、看護師であり、アーティストであるという存在を皆さんに知っていただきたく、書いてみました。
現代医療のまっただ中にいる私たちは、深く「人間」というものを考える存在の一つだと思っています。
訴えかけたい何かがあった場合、それをどう表現するか?
最後に、この絵をみたとき、医療者と一般の方とでは受ける印象、考えることがまったく違うかもしれませんね。そこも含めて、アートなんだと思います。
コメント
こんばんは。
とても考え深い記事ですね・・・
私も日々、経管栄養、胃ろうの患者さんと
接している中で果たして、寝たきりで自分で訴える事が出来ない患者さんは本当にこの姿やこの状況を望んでいるのだろうか?と思ってしまいます。
もし自分ならと考えると本当にこの姿を希望するだろうかと・・・
明確な答えは出ませんが・・・