医療者教育から、医療界の問題の本質へ?医療教授システム学会総会で感じたこと

今日から3日間、東京の竹橋で開催されている日本医療教授システム学会の総会に行ってきました。医学シミュレーション教育を始めとする医療教育を考える学術集会。創設以来、ファシリテーターで呼ばれたり、一般参加として毎年参加しているのですが、行く度に新しい発見や、その時代のトレンドが肌で実感できる密かに熱い学会です。

医療総合系の学会で、医師、看護師、救急救命士、臨床工学技士、さらには教育学者や蘇生科学を学ぶ学生、市民団体も含めた幅広い人が参加しているのも魅力のひとつ。

特に今回の会頭はナースが務めているということもあって、いつにもまして見逃せない学術集会でした。

Twitterでもつぶやきましたが、やっぱり時代のトレンドが掴めるというのはいちばんおもしろいところ。確か、去年は、BLS/ACLSといった心停止後ケアの時代は終わって、非心停止の時代に突入したのを感じた、みたいなことを書いた気がしますが、今年の学会で感じたのは、医療者教育は、ついに教育の枠を越えた、ということでしょうか。

最初の会頭の基調講演でもありましたが、卒後教育の学びの形態は「経験学習」です。現場での実践体験を通して学びを深めていくという形。

この経験学習で重要なのは、看護界ではよく言われている「振り返り」です。周りの先輩スタッフや同僚との対話の中から、内省を得て、それが学びになっていきます。つまり「対話」がスタッフを育てるのですが、その対話ができる環境であるかどうかが問題。

「こんなこと言ったら怒られないかな」「やっぱ本音は言えないよ」

そんな環境では対話は生まれません。

つまり新人が主体的に行動を振り返れる環境が職場にありますか? というのが問題。

よく、師長さんや指導者が、「なんでも言って! 聞くから」とか言うけど、本音を言えることって少ないですよね。今日の別の話でもありましたが、医療とは別の人材育成のセミナーで、会社社長が「うちの社員は意見をぜんぜん挙げてくれないんです」ということが多いそうですが、その多くは、社員じゃなくて社長が知らず知らずのうちに作っているバリアが問題だという話。そういうことをいうのは中小のワンマン社長が多いらしいですけど。

それと同じことが医療界でもありますよね。

まあ、日本社会全体を考えてみれば、「今日は無礼講だ」と社長が言ったから、本音をぶつけたら後々大問題になったとか、もともと建前社会なのも問題なのかも。だから言葉じゃなくて、「雰囲気」、「空気」の問題なんですよね。暗黙の了解というやっかいな壁がある以上、言葉で言っていることは当てにならない。

上司や周りのスタッフへの信頼感、安心感がないと本音は引き出せないし、対話は生まれない。

対話ができないということは、つまりは、現場での教育が進まないということをも意味するのです。

業務がうまくいいかないだけではなく、新人が育つことすら阻んでしまう。

かつては教育は教育の枠の中で語られていた気がしますが、今回の日本医療教授システム学会総会で感じたのは、職場での現任教育は、教育以前の問題として職場の信頼関係、風土によって決定づけられるというものだったのです。

そこで思い当たる点がひとつ。

最近、その話ばかりで辟易されている方もいるかもしれませんが、去年の年末から私がオープンに語り出した眼科白内障手術の未滅菌使い回し事件。

普通に考えたらあり得ない、洗浄すらしない手術器具を複数患者にあたりまえのように使いまわすことが10年以上にわたって行われてきた事件。

ふつうだったら誰でもその異常さに気づくと思うんです。でも私が声を上げるまで誰も問題視しなかった。問題提起した後も、自分たちが加担してきた誤った行為を認めず、オペをボイコットした私を非難までしたベテランナースたち。

その後、年代別に行なった振り返りの会などでも、若い人は問題に気づいていた、古い人ほど問題意識がなかったという事実がわかってきています。

逆に言えばベテランの人たちも、若いころは疑問に感じていたかもしれない。でも若い立場で言葉にできなかった、つまり疑問を対話にもっていけなかった図式が明らかになっています。

臨床指導者や主任看護師が当たり前にやっていることを、「まずいんじゃないですか?」とは言えない雰囲気。まあ、それは当然ですよね。

結局、私が声をあげてから7年間。使い回しが止められなかったのは、現場で対話できる環境がなかったから、というのが今回の総会に参加してはっきりわかりました。

つまり、私がいた職場には卒後教育として新人ナースが健全に成長できる土台がなかったのです。だからこそ、明らかにおかしい問題が問題とならずに是正されずに脈々と負のスパイラルが続いていた。

私がなにかおかしいと思っていたことの構図が今回、はっきりわかった、そんな気でいます。

でもこれは、恐らく私の職場だけではなく、看護界全般の問題だと思っています。

問題を問題として認識して、それをどう改善していくか?

いま、問題の構造分析が進んできた黎明期にあるのかもしれません。信念対立とか問題の背後にあるものが次第にわかってきています。

いまや医療者教育は、教育分野のみならず、問題解決手法の一つとしても捉えられてきている模様。

医療者教育を突き詰めると、医療界の問題の本質と問題解決の糸口が見えてきました。

学会参加して初日になんとなく感じたことですが、明日、もう一日、いろんな発表を聞いてトレンドを感じる中で、この印象がどう変わるのか、それとも確信を強めるのか、余裕があったらまた明日レポートします。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする

コメント

  1. オペナース より:

    全文拝見させて頂きました。
    貴方の病院はかなりの数の問題があるようですが、なぜそうまでしてその病院にこだわるのですか?
    多数問題を抱えた病院に固執する心理を参考までに聞かせてもらえたら幸いです。

  2. 管理人 より:

    オペナースさん、固執しているつもりはありませんが、動けば変わるんです。それがおもしろくて、いままでいろいろやってました。きっと問題は私が掘り出したから問題なんです。というのはそれまで誰も問題としてこなかったのですから。もしくは問題と思っても変えるのに労力を使うのはバカバカしいということで、辞めていったからなんでしょうね。
     
    オペナースさんの病院では、先輩後輩関係とか、問題ないんですか?