先日、京都大学の研究結果としてAEDに関する報道がありました。
AED 女性への使用に抵抗感? 京大調査(NHK-web 2019年5月6日付)
上記のNHK報道が一番手だった気がしますが、その後、各社も報道していてネット界ではかなり話題になっています。
女性へのAED使用に抵抗感があることがデータで裏付けされたとのこと。
女性の服を脱がせることが問題になることを懸念するからでは? ということですが、この手の話題は市民向け救命講習を手がけていれば日常茶飯事。
聞き飽きているような話です。
それが改めてきちんとしたデータとして示されたというのは興味深い点です。
意識がない人がいたらAED装着? 否!
さて、AEDを使うときに女性の場合は装着をためらうかという話ですが、正しい手順で使うことを想定していないから、そうなるんじゃない? と感じます。
前述のNHK記事の中でも、ちゃんと書かれています。
京都大学健康科学センターの石見拓教授によると、声をかけ意識がなければ、119番に通報して、近くの人にAEDを持ってきてもらうように頼みます。
呼吸をしていない、またはよくわからなければ、胸骨圧迫=心臓マッサージを始めます。
AEDが届いたら、電源を入れ、2枚のパッドを素肌に貼りますが、(以下略)
意識がなければAEDを装着しろ、ではありません。
・意識(反応)がない
・呼吸をしていない
この2点を確認した人に対してAEDを装着することになっています。(医療従事者の場合は加えて脈拍の有無もみます)
つまり、心停止であると判断した人にだけAEDを装着します。
そして心停止であれば当然、胸骨圧迫が必要ですよね。
人が倒れたその場にすぐAEDがあることは少ないですから、普通はAEDが到着する前に胸骨圧迫が始まっているはずです。そこに後からAEDが届くという図式は、どんな救命講習、BLS講習でも同じですよね?(受講したときのことを思い出してみてください)
つまり、デフォルトとして、AEDは胸骨圧迫がされている人に対して装着されるものです。
寝ているだけの人の服を脱がすわけではない
胸壁が5センチ沈むくらいにガシガシと胸を押している。それでも傷病者は痛がる素振りもなく、ぐったりしたまま。そんな状況をイメージしたときに、羞恥心云々でAED装着をためらうでしょうか?
AED装着がセクハラになるのではないか、とか言っている人たちの頭の中にあるのは、もしかしたら寝ているだけかもしれない女性の服を勝手に脱がすような、そんな背徳感を感じるような場面をイメージしているんじゃないでしょうか?
ここがずれているから、議論が変な方向に行っているような気がします。
(そもそもセクハラって単語の意味を考えても、間違っているのは明白なんですけどね。harassment は嫌がらせという意味ですから)
胸を押しても痛がる反応がなければ、、、
女性にAEDを使ったら訴えられるかも、みたいな話は完全な妄想の世界です。
それはAEDを装着する前に必ず胸骨圧迫が行われているという前提が欠如したゆえに起きていると推察します。
倒れている人にAEDを装着するか迷うということは、心停止であることへの確信が持てないから。
確かに呼吸確認は、呼吸をしていないとはっきり断言するのは難しいかも知れません。だったら、疑わしければ胸を押せ! です。
胸骨圧迫をして痛がらなければ、普通じゃない! って自信になりませんか?
妄想の原因は、AED啓蒙活動や救命講習のあり方にも
AED偏重主義とでも言うんでしょうか?
AEDを使ってください! という普及啓蒙活動は大切ですが、それを強調するあまりCPRの重要性がスポイルされているんでしょうね。救命法といえばAEDを貼っておけばいい、みたいな歪んだメッセージが独り歩きしている部分はないでしょうか?
AEDは、もうすっかりと定着しましたので、そろそろ裾野を広げるだけではなく、質を意識したちゃんとした救命講習を展開する方向に舵取りしなくちゃダメな時代に入ってきてるのを感じます。
あまりに理想的な環境でマネキン相手の練習だけをさせているから、現実の救急対応のイメージがつかずに、セクハラで訴えられる! みたいな妄想的な話が独り歩きしちゃうんです。
BLSとか救命法の指導員は、もうちょっと現実性を加味した講習展開をしてほしいですね。