看護はアートか? – 看護における art の意味を探る-

Twitterで看護における Art という単語の使われ方について話題が出ていたので、昔に書いた文章を引っ張り出してみました。これは私が看護学生だったときに、教員から「看護は芸術なのよ」と力説されて疑問に思って調べた結果をまとめたものです。たぶん看護学生1年目のときだったと思います。

書いたのは20年近く前。今となってはお恥ずかしい部分もありますが、興味がある方は、ぜひご覧ください。


看護学概論や看護技術の教科書によると、看護とは「アート」なのだそうです。

看護は、単なる技術の提供に留まらず、対象の個別性に合わせて創造的に実践していくことから、technique ではなく、art という言葉で表現されるとのこと。

なんとなくわかったような気がしながらも、どうも釈然としないものを感じた人は多かったことでしょう。

実際のところ、はたして看護は「アート」なのでしょうか。

そしてその意味するところはいったいなんなのでしょうか。

I.混乱


一般的日本人の理解で「看護がアートである」と言われたら、アート=芸術、だから看護は芸術? と思ってしまいますよね。

これが大きな混乱の原因です。

美術館に並んでいる絵画と、看護がどう関係しているのかと混乱してしまうのです。

共通項として「創造性」という言葉を持ってくれば、なんとなくつながりも見えてきますが、やっぱりどうも釈然としない。

結局のところ、「看護というのはとにかく特殊なものなんだ」というおおざっぱな理解に落ち着くのです。

II.アートとは何か -アートは芸術ではない

看護がアートと言われる由縁は「看護技術」という言葉にあるようです。この言葉は英語から翻訳されたもので、英語では nursing art と言います。

技術を表すのにテクニック(technique)ではなく、アート(art)が使われていることに特別な意味を見いだしたようです。

それでは、アートとはどういう意味なのでしょうか。国語辞典を引いてみた結果は次の通りです。

アート[art]:
美術、芸術。(新明解国語辞典、第四版、三省堂、1996)
美術。芸術。(福武国語辞典、福武書店、1981)
美術、芸術、技術。(広辞苑、第二版、岩波書店、昭和51 年)

さすがに広辞苑ともなると「技術」と書いてありますが、一般的な中辞典クラスでは「美術、芸術」としか書かれていません。やっぱり看護は芸術なんでしょうか。

今度は英語の art の意味を調べてみると、意外にもすっきりとした答えが出てきました。

1. human creative skill or its application.
2. works such as paintings or scriptures showing suchskill.
3. creative activities such as painting, music theatre,writing.
4. subjects associated with creative skill as opposed tosciences where exact measurements and clculations areused.
5. any practical skill.

(Oxford Paperback Dictionary, New Zealand Edition,Oxford University Press, 1998)

これはイギリス英語の標準的な中辞典からの引用ですが、いきなり芸術などとは言わず、大きな意味で「創造性をともなった技術とその応用」を第一義として載せています。次いで、美術作品、芸術活動、文系の学科、実践的な技術、となっています。

つまりアートの基本は、人間が創り出すもの(有形無形問わず)すべてであって、その大きな意味の枠の中に芸術や技術が含まれるという解釈が妥当でしょう。

日本語に訳すとやや不正確になりますが、art という語には、芸術、文系の学科、技術という3つの別々の意味があると言っていいかと思います。言葉の根元ではつながりますが、発露はそれぞれ別の部分にあります。

ここでは看護技術という意味のアートは芸術ではなく、技術と訳すのが適切であることを確認しておきたいと思います。(たしかに看護芸術なんて日本語はなく、あくまで看護技術なわけですから、わざわざ確認しなくても自明でしたね)

III.技術(art)は特別なものか?-看護がアートなら金儲けもアートである

看護学の教科書を読んでいると、看護技術は technique ではなく art であるから特別だというニュアンスが感じられます。でも本当に技術を意味する”art”には特別な含みがあるんでしょうか。

英和辞典から、技術という意味の art の例文をピックアップしてみます。

1.ヴィスタ英和辞典 三省堂、1997(発音カナ表記の中学生向け辞書)

・not meny bachelors know the art of cooking.(独身の男たちの多くは、料理の仕方を知らない)
・art is long, life is short.(技術は習得するのに長い時間がかかるが、一生は短い)

2.ライトハウス英和辞典 第二版、研究社、1990(一般的な受験生向き辞書)
・the art of cooking.(料理法)
・the art of building.(建築技術)
・He knows the art of making people feel at home.(彼はみんなを気楽にさせるコツを知っている)

3.ランダムハウス英和辞典 urabridged Edition、小学館、1966(英和辞典の最高峰)
・the art of making money.(金もうけの要領)
・the art of baking.(製パン法)
・the art of sailing.(航海術)
・practice the art of composition.(作文の技術を練習する)
・a master at the art of conversation.(話術の達人)

お気づきのように技術という意味の art は、ごくありふれた日常的な技術までも示す言葉として使われています。特に「金儲けの要領」や「独身男性が知らないとされる料理の仕方」など、芸術という意味からは決してつながらないようなことにまで使われているのは注目できます。

これほどに広い意味で使われる言葉、そのなかで看護におけるアートだけが特別だとは言えないでしょう。看護がアートならば、金儲けもアートなのです。

英語を母国語とする人が「看護はアートである」と聞いたところで、きっとそこに特別に深い意味は感じないでしょう。だってだだの「技術、要領、コツ」(1 なのですから。

実はナイチンゲールの言葉にも興味深いものがあります。看護を定義したもの言われていますが、次のように言っています。「看護というものは単なる技術にとどまらず、ひとつの人格なのである」(2

日本語で読めば、「看護は技術じゃなくて芸術なのだ」という意見を支持しているかのように見えます。ところが英語の原文を見てみますと、

Nursing is not only art but a character.

と驚くような言葉の使い方をしているのです。日本語で「単なる技術」と訳されていたのは art のこと。technique ではないんですね。

いまのところサンプルはこれだけしか見つけていないので、結論はできませんが、ナイチンゲールにとって art という言葉は、なんの思い入れもないありふれた「技術」の意味しかなかったように思えます。

IV.art の本質に迫る


これまではアートという言葉の用例を中心に見てきましたが、最後にオリジナルの語源から考えていきたいと思います。ちょっと長いのですが、世界百科事典(平凡社)の解説を引用します。

げいじゅつ 芸術
独自の価値を創造しようとする人間固有の活動の一つを総称する語。このような意の日本語としては明治20年前後に翻訳語として始まり、今日では完全に定着したが、この語にあたる西欧語はアート、アール art(英語,フランス語)、クンスト Kunst(ドイツ語)、アルテ arte(イタリア語.スペイン語)、さかのほってはアルス ars(ラテン語)、テクネー techne(ギリシア語)である。それゆえ芸術の意味を考えるには、芸の正字<藝>や<術>の語義を中国および日本の文化史に追いもとめる以上に、西洋における芸術観の展開を重んじることになる。

Kunst は技術的能力にかかわる動詞 konnen(できる)に発し、art や arte の由来せる ars は techne の訳語として用いられた。techne は近代語テクニック technique などの語源であり、< 制作> とか〈技術> を意味する。すなわら言葉からみれば芸術は技術と類縁であり、最広義では技術にふくまれる。ところですでにギリシア人は知の性格を技術に認め、これを経験と学問の中間に位置づけていた。学問は真理の認識そのものを目的とし、原理の探究から普遍的な知の体系構築へすすむことを使命とする。他方、技術は明確な作物の制作を目的とし、この点でたんなる経験を超えるが、つねに個物にしばられる点で学問から隔たる。理論の普遍的な知を個々の具体的な事例に適用しつつ、あくまで特殊の認識に生きるのが技術の使命であり、これは芸術にも当てはまる。

ラテン語の ars はこの知としての性格を強め、しばしば<学問> と訳す方がよいほどである。7 種の< 自由学科 artesliberales>(→自由七科)が自由人の修めるべきこととされたが、その内容をみればarsの学的性格は明らかであろう(7種はのちに<三学料=トリウィウム trivium>:文法・論理・修辞と〈四学科=クアドリウィウム qudrivium>:算術・幾何・天文・音楽に区分される)。なおこの点では歴史的にさらに古く中国(周代)でも士以上の必修科目として六芸<りくげい>(礼・楽・射・御・書・数の技芸)の定められていたことは興味深い。

さて建築をはじめ自由学科に数えられなかった職人的技術の地位を高めたのはルネサンスの巨匠たちであり、その後、諸芸術の躍動につれて18世紀には芸術を統一的にとらえる企ても生じ、やがて美・芸術の原理学たる美学の成立をみるまでになった。この過程で近代の努力が確認したのは<美的価値の実現>こそ芸術を他の技術から区別する核心ということであり、この見方は万人の賛同をえて芸術は<美しい技術>(ファイン・アーツfine arts,ポーザール beaux – arts,シェーネ・キュンステschone Kunste)と呼ばれ、ついに19 世紀以降今日では形容詞 fine などを省く名詞だけで芸術を意味するにいたり、この用法を先人は日本にも導入したのであった。

(世界大百科事典、平凡社、1984)

要点をいくつか整理すると、

  • テクニックとアートの語源はおなじであり、最広義では芸術は技術に含まれる。
  • 技術とは経験と学問の中間。学問は普遍的真理を追究する。技術は経験を越えるが、個物に縛られ普遍的な意味づけには達しない。
  • 芸術は本来< 美しい技術> fine arts であり、その時点では明らかに art はただの技術に過ぎなかった。19世紀以降、fine が省略され、art だけでも芸術を意味するように変容した。

このことから結論ですが、やはり看護においてもartとはただの技術という意味しかないようです。

看護がアートと言われるようになったのはいつの頃からかはわかりませんが、聖路加看護大学の元学長、日野原重明によれば、2500 年前に医学の祖であるヒポクラテス以来、医学に関してアートという言葉が使われきたそうです。(4 そのアートが後に看護にも使われるようになったのでしょう。

その当時の医療というのは、医学ではなく医術でした。学問と言うより経験にもとづく技術(art)だったのです。それが近世の自然科学の発達にともない、サイエンスが取り入れられ、次第に art の部分が忘れられていくようになりました。

簡単に言うと事象を一般化しすぎるために、個別性や人間性が失われて、医学は機械修理のような非人間的なものになってしまったということです。そこで日野原は医学でもアートとしての部分を忘れてはいけないということを説いているのです。

その点を踏まえて考えると、看護は現代においても間違いなくアートでしょう。先ほどの百科事典の解説では、サイエンス(学問)に対してアート(技術)は「明確な作物の制作を目的とし、この点でたんなる経験を超えるが、つねに個物にしばられる点で学問から隔たる。理論の普遍的な知を個々の具体的な事例に適用しつつ、あくまで特殊の認識に生きるのが技術の使命であり…」としています。個々の人間を相手にするというのはまさに看護の特殊性のひとつです。

このように学問の体系で考え、サイエンスと比較したときに看護はアートであると言えます。この場合は技術と訳すよりアートと表現した方が適切かも知れません。

しかしそれはあくまで「サイエンスとの対比」という前提があってのみ、許される表現でしょう。冒頭で述べたように日本語でアートというと芸術と解釈するのが一般的だからです。

先ほど英英辞典(5 の定義で4番で紹介しましたが、現代英語の art にも、サイエンスの対極にあるものという意味が残されています。

4. subjects associated with creative skill as opposed tosciences where exact measurements and clculations areused.

日本語でいうなら文系/理系というときの文系の意味と捉えていいと思います。たとえば文系大学を卒業した人の学位は a Bachelor of Art といいます。もちろん芸術学士とは絶対に訳しません。文学士です。(日本語ではさらに細分化して法律学士、経済学士などということが多い。ちなみに理系大学を卒業した人の総称は a Bachelorof Science 理学士。ただし近年の法改正によって学士(薬学)というように表記するのが正式になった)

このように考えると、看護がアートであるということの意味は、サイエンスではない、サイエンスが忘れてしまった人間性を持っているという意味に解釈するのがもっともふさわしいように思います。

芸術との関連性を説くのはかなり不自然なこじつけと言わざるを得ません。

しかしながら、看護学生向けの教科書、たとえば金原出版の『基礎看護学①-看護学概論』では看護の定義として「…系統的な実践科学であり、芸術である」(6 と言い切っています。

さらに「看譲は科学であり芸術である」という見出しのものもとに、芸術家の作品制作過程を延々述べ、「看護は、学んだ知識,技術、および経験を,画一的にそのまま切り売りするような援助であってはならない。芸術作品には芸術家の血が脈うって生き生きしているように、芸術的看護は、高度の教育を受けた看護婦(士)の全身全霊が一つの看護行為となって対象の前に現されなければならない。」(7 としています。

いわんとすることはいいのですが、それをアート(芸術)と結びつけるのは、作為的というか事実誤認に近いものがある気がします。素人目にみても大げさな表現に映るのではないでしょうか。

その点、医学書院の『基礎看護技術Ⅰ』の冒頭にある言葉はひかえめで適切です。「『看護技術は人間愛に基づいて、科学的思考により熟練した技で行う行為であり、その行為は常に創造性を発揮するものである』としたい。言い換えると、看護の技術はskill やtechnique で表すのも適当なものもあるが、全体的には心情を表現した専門的な art としての技術でありたいと考えている」(8

V.結論


まず看護におけるアートとは「芸術」ではないとはっきり述べておきたいと思います。

アートの語源は「技術」であり、その派生語として現在の「芸術」としての意味があります。だから artという語の起源を遡っていったところで、芸術という意味は出てきません。途中の枝分かれを逆行しなければそこにはたどり着かないのです。

看護は芸術ではありませんが、アートであることは間違いありません。その意味するところは「サイエンスではないもの」ということです。ある個々の事象から共通項を取り出して一般化(普遍化)して体系付けたものがサイエンス(学問)ですが、世の中には個から切り離すことができない性質のものもあります。それをサイエンスに対してアートというのです。

たとえばマニュアルとして体系付けられないようなもの(職人芸など)がこれに含まれますし、また精神性を強く説くようなものもそうでしょう。

特に現代、高度にサイエンス化してしまった医学領域のなかで、あえてアートというからには、サイエンスではないものという意味合いと捉える方が自然なのではないでしょうか。

具体的にいうと、医学の場合は、問題を病気・症状という枠で捉えて、こういう場合はどういう処方、処置をしたらいいというのがきっちりと体系付けられています。もちろん病状は複合的なものですから、そんな単純なものではありませんが、でも少なくともそういう思考様式で現在の医学が発展してきているのは事実です。体の各部を機械の部品として捉えているといったらいいでしょうか。

それに対して看護があつかうのは全人的な人間です。医学のように人体をパーツとして考える余地はほとんどありません。あくまで○○さんというひとりの人間の個別性に縛られ、それを離れて普遍化することはできません。ここが看護が他の学問とは隔てられ、アートといわれる由縁です。

まあ、看護に関しては「アートでありサイエンスである」といういっけん矛盾するような不思議な言い回しもよくなされていて、結局のところ学問的に成立しているのかといえばまだまだ未発達というのが現状のようです。

看護にとってもっとも重要なのは、医学がほとんど捨て去ってしまったアートの部分です。

医学という大枠の中に看護があるような理解が強いかと思いますが、その窓口を考えると看護の方が医学よりよっぽど広い気がします。医学はサイエンスが中心になるのは致し方ないとしても看護には、むしろアートを機軸とするところにその存在意義があります。サイエンスとしての思考・素養も必要ですが、それはあくまで看護を実践するための道具のひとつに過ぎず、それが前面に出てきてしまうのはある意味本末転倒なことでしょう。

こうして改めて考えてみると、看護にとってサイエンスはおまけ程度でもいいんじゃないかなという気もしてきます。しかし、看護教育はすべて4年制大学に移行しようという動きがあり、方向としてはサイエンス重視へ向かうようです。今後いったいどうなっていくんでしょうか。

これまでアートでしかなかったものが学問としてのサイエンスに高められたという例はなくもありません。”工学” がそうです。工学という学問を世界に先駆けて成立させたのは日本の東京大学で、これまで職人技として個々の人に縛れていた技術を体系化して工学という学問に仕立て上げたのです。

同じようにして看護も学問になろうとしていますが、それがはたしていいことなのかどうか、また本当に可能なのか、いろいろとまだ問題の根は深そうです。



(1 ライトハウス英和辞典, 第二版、p.76、研究社、1990
このほかランダムハウス英和辞典、p148、小学館、1966では、
*(技術・学問分野などの)技法、術、要領
*(特殊技術を必要とするような)職業
*(一般的に人間の)特殊技術、技能
という訳語を当てている。

(2 日野原重明:看護のアートⅠ,p.10、中央法規、1987
(4 日野原重明:看護のアートⅠ、中央法規、1987
(5 Oxford Paperback Dictionary, New Zealand Edition, Oxford University Press, 1998
(6 沢禮子:基礎看護学①-看護学概論、p.24、金原出版、1991
(7 沢禮子:基礎看護学①-看護学概論、p.29、金原出版、1991
(8 氏家幸子:基礎看護技術Ⅰ , 第5版、まえがき、医学書院、2000



参考文献:
[英和辞典]
* ライトハウス英和辞典, 第二版、研究社、1990
* ランダムハウス英和辞典、小学館、1966
* ヴィスタ英和辞典、三省堂、1997[英英辞典
* The Oxford English Dictionary, second edition, Oxford University Press, 1989
* Oxford Paperback Dictionary, New Zealand Edition, Oxford University Press, 1998

[百科事典]
* Encyclopedia Americana, 1981
* 日本大百科事典、小学館、1986
* 世界大百科事典、平凡社、1984[国語辞典]
* 日本語大辞典、小学館、昭和47 年
* 新明解国語辞典、第四版、三省堂、1996
* 福武国語辞典、福武書店、1981
* 広辞苑, 第二版、岩波書店、昭和51 年

[その他]
* 氏家幸子:基礎看護技術Ⅰ , 第5版、医学書院、2000
* 沢禮子:基礎看護学①-看護学概論、金原出版、1991
* 日野原重明:看護のアートⅠ、中央法規、1987

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