話題になっている映画「新聞記者」を見てきました。
政権の不正と隠蔽工作を暴こうとする新聞記者と、官僚からの内部告発を描いた映画。
フィクションではありますが、加計学園問題や伊藤詩織さんのレイプもみ消し疑惑などが、モチーフがはっきりと分かる形で取り上げられています。
さらには、映画中に、原作者で東京新聞記者望月衣塑子さんや、元文部科学省事務次官の前川喜平氏も出てきて、現実社会とかなりリンクした作り込みで極めて挑戦的な作品です。
映画の中で、不正な行為を上官からの業務命令として課された官僚の葛藤がリアルに描かれていて、ぐっとくるものがありました。
6年前の話になりますが、私も勤務していた病院で行われていた不正を正そうと行動した結果、仕事を失ったという経験をしています。
映画を見ていると、もうすっかり忘れていた当時の感情が次々と思い出されて、昨日は Twitter の上で、あれこれ書き散らかしてしまいました。
6年前の内部告発の概要
密室で行われていた不潔な手術
私の勤務していた病院では、眼科手術の衛生管理がずさんで、ここはいつの時代のどこの国? というくらいのひどいありさまでした。
・灌流液の使い回し(ボトルも点滴回路も)
・注射器に封入された粘稠剤の使い回し(針先だけ交換して)
・メスの未滅菌使い回し(超音波洗浄のみ)
・眼内に入れる超音波手術装置のハンドピース使い回し(生食ですすぐだけで)
眼科の白内障手術は1日10件近く続けて行うのですが、途中にHCVとかHBV陽性の患者がいてもお構いなし。
そんなことが私が就職する前から行われていて、私がそのことを知って行動を起こすまで10年近く続いていた実態がありました。
にわかには信じられないでしょうけど、現代日本の大病院で行われていたことです。
そこには眼科部長以下、ローテーションしてくる医局派遣の若い医者が入れ代わり立ち代わり関わっていましたし、さらには手術の準備と介助をするナースも何十人もいて、当然、歴代の手術室師長も知ってました。
また、たまたまオペ室配属になっていた感染看護認定看護師も知っていて、その不潔な手術の直接介助にもついていたのです。
それなのに、私が問題提起するまで、また、問題を明るみにした後も、すぐには是正されず、結局10年以上そんな異常な状態が続いていたのでした。
訴えを無視を続けた病院管理者
細かい話は割愛しますが、看護師2年目くらいのときに手術室看護師の中で問題提起し、その後3年目くらいで眼科部長に直談判。渋々といった感じでしたが、多少は改善されて、でも抜本改革にならず。
その後もチマチマと各方面に根回しを続けて、最終的には手術介助のボイコット運動を起こし、事態を無視できない状況にして、抜本改善にこぎつけたという次第です。
そんな理由で自分を納得させられるんですか?
映画「新聞記者」のあちこちの場面で涙してしまった私ですが、いちばん印象に残っているのがこのセリフです。
不正に疑問を感じて心が揺れている官僚に対して、記者が取材協力を求めて断られたときの言葉です。
明らかに良くないこと。自分自身も良心の呵責を感じている。でも、業務命令でやらなければならない。そんな葛藤の中で、私達は「選択」をするわけですが、その選択が本位でなければ、その選択をしたことを正当化するための理由を考えます。つまりコーピングですね。
図式でいうと、
自分の良心 VS. 社会的立場
ということでしょうか。
映画「新聞記者」の中では、それが国家の安定には必要なんだ、という言葉がしばしば出てきます。何が真実かを決めるのは大衆なんだ、とも。
私が直面した手術器具の不潔な使い回しは、医療従事者であっても一般市民であっても、ふつうに間違ったこと、と即断できることだと思います。
しかし、私が騒ぐまでは10年近く、誰もなにもしなかったのです。
疑問に思った人はいたでしょう。不正な行為に加担したくないと感じた人もいるでしょう。でも声をあげず、医師に言われるままに、または先輩看護師に教えられたとおりのことを行い続け、後世に伝えて今まで来たわけです。
その人達は、どんな理由をつけて自分を納得させていたのでしょう?
自分自身の問題として、こんな体験をして来ましたので、映画「新聞記者」の中で大それた不正に手を染めた官僚たち、これはフィクションであって、まさか現実にここまではないだろう、という楽観視は私にはできませんでした。
そして映画の中では、告発に踏み切った若い官僚の葛藤が描かれています。いま、まさに子どもが生まれたばかりのときに、どういう決断をするのか?
映画では、最終的には「自分の実名を出して記事にしてもらって構いません」とまで言っていますが、ここまでするべきかどうか、私にはわかりません。
会社や組織を敵に回す → 仕事を失う → 生きていけない
今の私は、BLSやファーストエイドを人に教えることを生業としていますが、常々、自分の身の安全が最優先と言っています。
自分のことを守れるのは自分しかいないわけですから、社会的な安全・安定を最優先に考えて行動することは否定はできないと考えています。
私は、手術介助に入ることを自身がボイコットし、さらには周りの職員を扇動して、手術が成り立たない状況を作って病院を困らせた主犯です。
そこまでしたらこの病院には居られなくなる、その覚悟の上での行動でした。
案の定、仕事はクビになったわけですが、正直、そこまでを他の誰かにして欲しいとは思わないし、するべきだとは思いません。
私が行動したことで、この先、誰かが感染したかもしれない危険をなくせたわけですが、具体的に誰かに感謝されるものではありませんし、そもそも上記のような使い回しをしても、眼科医が言うように感染なんかしないものなのかもしれません。
私は誰も救っていないし、病院という地域の重要なインフラに対して、また周りの同僚に迷惑をかけただけと言われれば否定はできないし、結局、自己満足で大騒ぎしただけじゃんと言われれば、そのとおりだと思います。
そう、極めて個人的なものなのです。
私は、自分の良心において、使い回しの幇助はできないと感じた。だからその良心を守るための行動を取った。
通常は、そこで何も言わず、病院をやめる、というのが極めてノーマルなナースの対応なのだと思います。
黙って辞めるのか、問題を片付けてから辞めるのか。
辞める覚悟があれば、怖いものはない。私はそう考えました。
立つ鳥跡を濁さず、とも人から言われましたが、私はわたしの信じる通りに行動した。
それだけです。
本件に興味がある方は、ブログのカテゴリー「未滅菌使い回し事件とナースの倫理」をたどってみてください。