宮崎県警は10日、医師ではないのに勤務先の診療所で入院患者の死亡確認をするなど、違法な医療行為をしたとして医師法違反容疑で、同県高原町、准看護師森山貴美子容疑者(54)を逮捕した。
県警は、森山容疑者が自らの判断で違法行為を繰り返していたとみているが、医師やほかの看護師が関与していなかったかも含めた当時の詳しい状況を調べている。
逮捕容疑は昨年3~8月ごろ、同県都城市の診療所「信愛医院」で、資格がないのに入院患者の81~96歳の男女5人の死亡を診断、死亡診断書を作り交付した疑い。容疑を一部否認しているという。
東京新聞報道のこのニュース、みなさんは、どう読みましたか?
逮捕されたのは准看護師ということですが、不自然なものを感じます。死亡診断書を交付したって、誰の名前で出したんでしょうね? まさか自分の名前? それはないでしょう。きっと病院の医師の名前を使って診断書を書いたんでしょうけど、これってホントに医師が介在していないナース単独の事件なの? とは疑問に感じます。
医師から命令を受けてやってたんじゃないのかなという疑惑。
真実はわかりません。そこは憶測をしてもしょうがないので、真実は別として、仮想のケーススタディーとして考えてみたいと思います。
あなたは、個人有床クリニックの師長です。(別報道だと、この准看護師さん師長だったそうです。ナースは30人ほどいたとのこと)
夜、急変があり、患者が亡くなりました。施設唯一の医師である院長に電話をしたら、「いいから、俺の名前で死亡診断書を書いて処理しておいてくれ。」と不機嫌そうな声で返事があり、電話が切れました。
さあ、あなたはどうしますか?
こういうことが続くと、自然と慣習化していくんですよね。
最初のうちは、この電話みたいにちゃんとした指示(間違っていますけど)があったかもしれないけど、慣習化すると、指示があったんだかなかったんだか、不明瞭になってきます。
ともするとナースは、医師のためと思って、余計なおせっかいを焼きがち。
こうなると、ナースが自分の判断で勝手にやったと医師から寝返られたら、否定のしようがない。
なんかそんな図式を感じてしまうんですよね。
特に院長一人の小さなクリニックともなると、院長の権限は絶大ですし。狭い世界の中で権力で飼いならされてしまうという現象は誘拐犯と人質関係でも時々聞く人間の不思議な心理。
もし仮に院長命令があったとしても、盲目的にそれに従って分を越えた行動したナースに落ち度はあります。
それが今回、医師法違反で逮捕という形で世に出てきました。
ここから学びたいことは、医師の指示があればなにやってもいいの? 責任を医師が取ってくれるの?
という点。
医師は頭がイイですし、場合によってはいろんなコネがあって社会的にも強いです。
保身というと消極的な言葉に聞こえるかもしれませんが、自分の免許は自分で守っていかなくちゃいけないってことです。
コメント
初めまして。都内で学士(看護学)取得方法について講義を受けた者です。私の人生設計に大きな影響を与えていただき感謝しております。講義の甲斐があって来年度に学位授与機構に申請が出来そうです。本当にありがとうございました。
それと、先日に私も職場内で同様な体験をしましたので、滅菌の是正の件、深く共感いたしました。
私の職場内で不正な身体拘束がなされていて、それをきっかけに身体拘束について調べ、学習成果レポートにしたのと同時に、身体拘束是正を求める報告書を師長へ提出したのですが、スプーンを落とした話と同様の話をされ、黙認されている状況です。
対人援助職者としても人としても不合理であり、師長への信頼や信用が無くなりました。
今は自分のモチベーションを整えることをしておりますが、なかなかうまい答えがでません。お時間が許す範囲でよいので、助言をいただけましたら幸いです。
宜しくお願いします。
駒瀬さん、コメントありがとうございます。
心中お察しします。私が今回10年勤めた病院を辞めることになったのも、未洗浄使い回しで、看護部長ならびに病院組織への信頼を失ったからです。
ぜんぜんアドバイスにはならないのですが、組織とはそんなもんだと割り切って利用すること、それに尽きるのかなという気がします。
誰もがそんなことじゃ、いい方向には回っていかないのですが、でも社会ってそんなもの。原発事故の対応をみてもそうですよね。
なので、生きる糧をえることと、自分の信念を貫くこと、そして目の前の相手に自分自身ができること。その3つのバランスを考えて、折り合いをつけていくべきなのかなと思います。
私は自分の信念を貫くこと、に重きを置いたばかりに、今の病院にはいられなくなりました。
おそらく、この犯罪は、雇われ院長、雇われ理事長の指示ではなく、医師ではない実質的な経営者が森山貴美子に死亡診断書を、書くように指示したと考えられます。