中学校での応急救護で訴訟の報道 医療者の反応に思うこと

昨日から話題になっている大分の中学校での救護対応を巡る訴訟のニュース。

情報ソースによって書いてあるポイントが違いますが、西日本新聞の報道 によると、遺族は業務上過失致死容疑で刑事告訴もしたそうで、少々驚きました。

これまで民事訴訟はたくさんありましたが、刑事告発はあまり聞きません。

学校のコメントとしては訴状が届いていないということなので、検察どまりで起訴までは至っていないのかなと思いますが、時代は明らかに先に進んでいると感じました。

学校でのCPRに関する訴訟、これまでのケースとの違い


学校で倒れた生徒の救護活動を巡っての訴訟は珍しくはありませんが、遺族側が訴えるポイントは、確実にシビアな方向にシフトしつつあります。

・AEDを用意していなかった
・AEDを使わなかった
・119番通報が遅かった
・心肺蘇生をしなかった
・心肺蘇生の開始が遅かった

これらは以前から争点として上がっていましたが、今回は 胸骨圧迫のみで人工呼吸をしなかった という点も俎上に上がっているようです。

さらには学校の管理責任を問うだけではなく、担当教師個人を業務上過失致死で刑事告訴した というのも見逃せません。

学校教職員は逃げられる立場ですか?

こういった報道が出ると、

「教師にそこまで求めるのは酷。こんなことじゃ萎縮してますます着手する人が減る」

という意見が必ず出てきます。下手すると、訴訟を起こした御遺族にたいして、モンスターペアレンツであるかのような誹謗をする人まで。

こういった意見は、一見社会派の考えのようにも見えますけど、

「はぁ? 何いってんの? おかしくない?」

というのが私の意見。

自分の子どもがそうであったとしても同じことを言うんでしょうかね?

学校関係者が自分たちを擁護する意味でこのように言うなら、まだわからなくもないのですが、第三者として、こういうことが平気で言える人って、なにか勘違いしているか、身勝手でトンチンカンな正義感に思えてなりません。

「訴えられるのが怖いから、人が倒れても手出ししない」

そう考える人が増えるのが心配、というのが、主張の趣旨なんでしょうけど、学校の先生が、生徒が倒れたときに何もせずに逃げたら、それこそ、訴えられますよね? 負けますよね?

そもそも学校の先生は逃げることができない立場であり、手出しをしないという選択肢はないんです。

だったら、ちゃんとやらなくちゃ、という方向に考えるのが普通じゃないですか?

遺族が求めるもの

助かる、助からないが問題じゃないんです。

ちゃんとやったか、やろうとしたか? ちゃんと備えていたか? です。

結局、訴訟にもつれ込むケースは、学校側が誠意をもった対応をせず、説明がないとか、なにかを隠しているとか、そんな疑念から起きるケースが少なくありません。

司法は真実を明かす場ではないとはいいますが、学校や自治体などの、組織に対して弱者である遺族にとっては訴訟しか道がないのです。

医療が絡んだ訴訟自体、きわめて高いハードルで、そこまでいくのも想像を絶するくらいにたいへんなことです。それ自体、第三者が想像する以上に家族は考えに考えて、たくさんの壁にぶち当たりながらも、ようやく実現したこと。

それを批判できる人はいないはずです。

質と程度は雲泥の差ですが、病院の不正に対して内部告発で戦った立場として、なんとか穏便に済まそう、煙に巻こうとする大きな組織ののらりくらりとした対応は想像にかたくありません。

一般市民の善意の救護と、仕事上の注意義務をごっちゃにするな!


学校での救護活動を巡る訴訟が、社会的に迷惑だと考え、そう主張する人たちは、なにを守りたいのでしょうか?

学校教職員が、日本の蘇生ガイドラインで推奨されている程度の救命技術を身に着け、それを保持することに反対なんですか?

医療従事者の中でもそのような主張をする人もいますが、なにか勘違いしているんだと思います。

医療従事者の行う救命処置に質と責任が求められると同様、学校教職員も緊急対応について準備と注意義務が課されるという点で、ただの一般市民ではないです。もちろん、医療従事者に求められる責任ほどの重さはないかもしれません。しかし、救護義務も責任もない通りすがりの立場とは決定的に異なります。

なにより、そもそも萎縮しようがなにしようが、救護に着手しないという選択肢がありえないのですから、これは本気で備える以外に道はありません。

そんな当たり前の話に、医療従事者までもが異を唱えるのはまったくもって理解できません。

どう考えたって、安全に関して責任がある立場でしょう? 学校の先生って。

萎縮するから、簡略化した講習で、下手でも褒めちぎりましょう、というのは、責任のない市民向けのCPRの教え方です。

今回の訴訟でもあるような、ある程度シビアな現実を見据えて、それなりの練習量と練習内容、教職員の連携や記録を残すことなど、業務対応の救命法を教える必要があります。

市民救命の中でも、「善意の救護」と「業務としての救護」を明確に区別して考えないと、教員も子どもも親御さんも、誰も幸せにはなりません。

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