看護の美意識と労働意識

以下、Twitterでのつぶやきの焼き直しです。

ブログは休止中させてもらってますが、Twitter では引き続きあれこれ書いています。


私が職員組合に訴えていた病院職員の勤務時間に関する問題点、すったもんだのすえようやく動いてくれて、全職員向けにアンケートが実施されました。まだ正式な集計は出ていませんが、看護部職員は、「患者のためだから」「それじゃ仕事が回らないから仕方がない」といった視点のずれた回答が目立ちます。

患者を目の前にしてがんばっているのはいいけど、いつまでがんばり続けるの? で、結局辞めていくんでしょ? 無責任ながんばりで残る人に負担をかけるのはやめてほしい。現実仕事が回らないのはわかるけど、それをシステムの問題として捉えて変えてかないと、使い捨て人材の業界、変わらないよ。

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コメント

  1. haru より:

    結局、看護の世界は昔から何も変わっていない。論理的な会話もできず、いつだって感情論。プライドの高さだけは人一倍で、医者の手伝いではないなどと言っているけど、医師とは思考回路も仕事もあまりに違いすぎるし、土俵が違う。わけのわからない研究や研修にお金・時間を浪費し、それを誇りだと勘違い。慣例にしばられ、何も変わらない。経済感覚もないし、労働意識、法律概念などもないから。

  2. Ruru より:

    haruさん
     
    個人的な感情はおありでしょうが、ブログ管理者が載せた記事に対するコメントというには、ちとずれていると思います。おっしゃられたように、そういう看護師もいますが十把一絡げに「看護の世界は」とくくるのもどうかと思います。

  3. Ext より:

    これだから最近の看護師は…。
     
    過去ログ拝見させていただきましたが、妙なプライドがおありのようですね。
     
     
    なんなら、全部一人でやってみなよ。特に1次救急なんかを。どれだけできるんだい?
     
    チーム医療なんて言葉には程遠いと感じている。

  4. you より:

    勇気を持ってよくぞやってくださいました。
    みな、上層部へ意見書など、恐れ多いとばかり自分の身を守るのに精一杯で、思っていても行動などしていません。実際に意見書を出した同僚はやめさせられました。しかし本来はそれは言語道断で、本質的には慈善事業を行っているわけではいし、看護師は危険な仕事を行っていながら実質自分の安全確保などとは程遠いリスクぎりぎりのところに日々立たされているのが現状です。医師の大変さもあるとは思いますが、それは職種の違いであり、わたし個人が云々言えることではないです。しかし同じ看護職としては、思うことや自分の安全確保上の危うさは常々ひしひしと感じています。自分の身の安全確保がされた上で、はじめて患者への安全な看護が提供できる。これは当然だと思います。己の身が危険にさらされてるのに、他人の安全が守れるかっているたとえとほぼ一緒。たとえ経済的保障があっても、理由にならない